新しい抗がん剤治療が始まる前に主人の希望で出かけた旅は毎回ながらいつも急に言い出すのでその対応に気持ちがなかなかついていけずにストレスを感じながらもそのための段取りを考えて手配をして旅に出かけたのです。こういうことは昨年のがん宣告から何度あったでしょうか。
先のブログに書いた今年の旅は1月は抗がん剤投与をせずにいたのでレスキュー用の痛み止め(モルヒネ)、吐き気止め、その他の鎮痛剤や便秘薬、下剤などをもって出かけました。食欲もなく不安な気持ちでの旅でした。けれど主人にとってもこれが自分の最後の旅だと覚悟したようです。旅の最初は善光寺、なぜ善光寺さんなの?と聞くと宗派を問わないからとだけ答えました。宿泊は駅に近い最上階に大浴場があるホテルです。
前日雪が降ったという雪景色を暫し窓から眺めてから夕方善光寺にお参り。その後主人は夕食も取らずにゆっくりと温泉に浸かって眠り、翌日は出身地の高崎へ。長野駅に行く途中で足がふらつくというのです。やはり食事が摂れないのでふらつくのでしょうか?
支えながら駅に向かい新幹線で高崎へ。高崎では東京から来た主人の妹と主人の幼馴染の奥さんと宿泊するホテルで待ち合わせ。奥さんの車で幼馴染のお墓と主人の父の墓参り。父のお墓は10年振りでしょうか。幼馴染のご主人とは中学、高校が一緒だったようで3年前に急逝されたそうでした。妹も奥さんとは小学生時代に顔見知り。墓参りの後主人はホテルで一休み。
女性たちは高崎観音に出かけました。白衣観音様です。お詣りをしながらゆっくりと思い出話に花が咲きました。
夕食はホテルに戻った後、妹と前もって探しておいた駅近くの金沢加賀回転すし店でテーブルで新鮮なお寿司や大きな麩のお椀、白エビのてんぷらを食べ主人も楽しい会話と雰囲気で思わぬほど食べることができました。
次の日は高崎から新幹線で大宮へ。北浦和駅で待っていてくださった知り合いの方の息子さんの奥様の車で一路老人介護施設金木生グリーンヒル北浦和へ。知り合いとは名古屋でお世話になった主人の上司I氏の奥様でその方との面会に出かけました。奥様は80歳を過ぎて名古屋から埼玉の三男宅に身を寄せて、その三男も2年前にすい臓がんで亡くなられたかたで、倒れられた一昨年までは毎年のように電話で近況のやり取りをしていました。
環境の良い施設のロビーで再会。主人の病気を知っておられた奥様は主人の趣味で作った本を大事にしてくださっているようでここでも話が弾みました。急にご主人をなくされた三男の奥様は時々その闘病時を思い出すように涙ぐんでおられたことが印象的でした。
会いたかった方と再会ができたことそして今の住んでおられる環境を拝見して主人も私も安堵の気持ちでお別れができました。
この後は一路東京へ。私は名古屋に直行したかったのですが、主人が東京で一泊したいというので巣鴨のアパホテルに急遽私も泊ることにしました。主人はホテルに入ると疲れて寝てしまいましたが、私は妹と巣鴨の商店街、とげぬき地蔵まで出かけました。多くの出店、人の通りで巣鴨の雰囲気を味わい夜はアパホテルの最上階の大浴場でゆっくりと温泉に浸かって眠りにつきました。
次の日は妹も朝からホテルに来てくれて東京駅へ。
主人が以前よりお気に入りの東京大丸の「つばめグリル」でこれまたお気に入りのグリル特製のハンバーグ、ロールキャベツ、ソーセージ・ハムの盛り合わせ、冷たいトマトのまるごとサラダなどを味わい女性2人がそのおいしさに大満足した姿を見た主人がその様子に主人も満足していました。
東京駅からひかり号で名古屋にもどってきました。地下鉄、タクシーと乗り継いで家に着いたのが4時を過ぎていました。家の玄関に入って一時靴も脱がずに座り込んでしまった主人でした。頑張って無事戻ってこれたとつぶやいて……ホントよく頑張りました。
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